論文 - 最初から英語で書くか、日本語を英訳するか、それが問題だ
「英語で論文を書くときは最初から英語で書くように!」と指導された経験、ありませんか?
最初から英語で書く理由に「日本語を英訳すると文章の構成が変わってしまうから」という話をよく耳にします。本当にそうでしょうか?実際の論文を読みながら検証してみました。
前回の記事で引用させていただいたハウザー博士が、興味深いタイトルの論文How many neurons are sufficient for perception of cortical activity?(皮質活動の認知に必要な神経細胞の数はいくつか?)を発表していました。こちらの論文を例に和訳を行い、英語原文と和訳との間に構造的な違いが発生するかどうか検証してみます。
アブストラクトの英和比較
- Many theories of brain function propose that perception and behavior are based on the activity of sparse subpopulations of neurons.
- In the present study, we used the all-optical method to induce behavior in order to investigate the lower limit of neural activity minimally required for perception.
- Small aggregates of pyramidal cells in layer 2/3 of mouse barrel cortex were stimulated by two-photon optogenetics while local network activity was recorded by two-photon calcium imaging.
- When the number of stimulated neurons was determined strictly by dose-response, the number of pyramidal cells minimally required for the perception of cortical activity was about 14.
- There was a steep S-shaped correlation between the number of activated neurons and behavior, reaching saturation at about 37 neurons, and this correlation changed with learning.
- Furthermore, the activation of neuronal aggregates was balanced by the inhibition of neighboring neurons.
- The surprising fact that perceptual sensitivity was preserved despite strong network suppression supports the "sparse coding hypothesis.
- The results suggest that a balance can be maintained in cortical perception, minimizing the impact of noise while still effectively detecting relevant signals.
Dalgleish et al. (2020) eLife 9, e58889.
このアブストラクトは8文からなっています。それぞれを和訳すると次のようになります。
- 脳機能に関する多くの学説は、認知や行動は神経細胞のまばらな小集団ごとの活動が基となっている、と提唱している。
- 本研究では、all-optical法を用いて行動を誘起させ、知覚に最小限必要な神経活動の下限を調べた。
- (具体的には)マウスバレル皮質2/3層における錐体細胞の小集合体を二光子オプトジェネティクスにより刺激しながら、2光子カルシウムイメージングにより局所的な神経ネットワーク活動を記録した。
- 刺激された神経細胞の数を滴定法により厳密に求めたところ、皮質活動の知覚に最小限必要な錐体細胞の数は約14個であった。
- 活性化した神経細胞の数と行動の間には急勾配のS字型相関が認められ、約37個で飽和状態に達し、また学習によりこの相関が変化した。
- さらに、神経細胞の集合体の活性化と近傍の神経細胞の抑制との間には一定のバランスが保たれていた。
- ネットワークを強力に抑制したにもかかわらず知覚感受性が保たれていたという驚くべき事実は、「スパースコーディング仮説」を支持するものである。
- 皮質の知覚において、ノイズによるインパクトを最小限に抑えながらも関連するシグナルは効果的に検出するというバランスが保たれることが示唆された。
日本語に直しても、ほとんど違和感がありませんね。
よく、「日本語は論理的な文章を書くのに向いていない」ということを言う方がいますが、
個人的にはそのようなことは無いと思っています。
アメリカに住んでいたときに、地元の人のスピーチを聞く機会がありましたが、論理的でない話し方をする人、冗長な文章を書く人、ネイティブスピーカーの中にもいらっしゃいました(よく考えてみれば、英語でかかれている小説や詩は文学的であっても論理的ではないですよね)。
英語にせよ日本語にせよ、文章の書き方には何通りかのやり方があり、そのなかには、論理的なものもあれば、文学的なものもあれば、簡潔なものもあれば、冗長なものもある、ということだと思います。
では、より複雑な構造の英文を日本語に訳すとどうなるでしょうか?
同じ論文のイントロダクションの第4段落を例にとってみます。
イントロダクションの英和比較
- Combining simultaneous targeted stimulation with readout of effects on the local network during behaviour will allow us to define the local network input-output function.
- This will yield better understanding of neural network operation, analogously to how measuring single-neuron input-output functions has transformed our understanding of information processing in single neurons.
- Moreover, it will allow us to determine how this network input-output function in turn influences the psychometric sensitivity to neural activity, which theoretical work predicts is crucial for understanding the link between neural circuit activity and behaviour.
- While some studies combining readout with manipulation have made significant progress in this direction, they have lacked spatial resolution and targeting flexibility either on the level of readout or stimulation.
- Measuring network input-output functions at cellular resolution during perception is likely to yield pivotal insights into how neural populations generate behaviour.
Dalgleish et al. (2020) eLife 9, e58889.
この段落は5つの文からなっていて、けっして長くはないのですが、論旨がやや込み入っています。まずは普通に訳してみます。
訳文1:そのまま訳す
- 行動の最中に局所的な神経ネットワークを刺激すると同時にその影響を読み出すという手法を使えば、局所的な神経ネットワークにおける入力-出力の機能が明らかにできる。
- またこの手法により、単一神経細胞において入力-出力機能の測定により情報処理の仕組みが明らかされてきたように、ネットワークレベルでの情報処理過程についても、さらに解明が進むだろう。
- さらにこの手法により、神経ネットワークにおける入力―出力機能が、神経活動に対する心理学的な感受性にどのように影響するかも明らかになるだろう。これを明らかにすることが、神経回路の活性と行動の関係を理解するためには重要であると理論的な研究から予測されている。
- 神経細胞を操作しながら読み出す手法を用いた研究は、既に目覚ましい成果を収めているものの、刺激および読み出しの両方において、空間分解能が十分でなかったり、標的をフレキシブルに変えることができなかったりという課題が残されている。
- 細胞レベルで認知にともなう神経ネットワークの入力-出力機能を測定すれば、神経細胞集団がどのように行動を形成するのかに関する重要な手がかりが得られる可能性が高い。
ひととおりの内容は理解できますが、わかりにくい日本語になってしまいます。特に初めの3つの文の流れがしっくりきませんね。原文では第1文の赤字部分を、第2文ではthis、第3文ではitで受けていて、さらに第3文にはwhichで導かれる節が挿入されています。各パーツを代名詞や関係代名詞がつないで、文章をいわば立体的に構成しているのですが、日本語にそのまま訳すと何とも不格好になってしまいます。
そこで、はじめの3文の和訳を組み立てなおしてみましょう。
まずは、文の順序を変える方法です。
訳文2(〈〉は英語原文中の文の順序を指す):論旨展開を工夫する
これまでの理論的研究からも指摘されているとおり、神経回路の活動と行動との関係を理解するためには、まず、神経ネットワークにおける入力-出力機能が、神経活動に対する心理学的な感受性に及ぼす影響を明らかにしなければならない〈第3文〉。このためには、行動の最中に神経ネットワークに局所的に刺激を与えると同時にその影響を読み出す必要がある〈第1文〉。これまで、単一神経細胞においては入力-出力機能の測定により、情報処理の仕組みが解明されてきたが、同様のアプローチを神経ネットワークに適用すれば、神経ネットワークにおける情報処理過程を明らかにできると思われる〈第2文〉。
滑らかな日本語になるよう少し手を加えましたが、ほぼ中身はそのままにして、1→2→3を3→1→2の順に変えてみました。
手法を出発点とするのではなく、目標を出発点として、手法を紹介するという逆の発想です。
原文も訳文も内容には変わりがないにもかかわらず、「英語で読んでいても違和感がないのに、日本語にそのまま訳すと分かりにくい。でも順序を変えると読みやすくなる」ということが起きています。
もう一つの方法は、
論理の順序は変えずに、英語特有の指示語や関係代名詞に代わる「つなぎ」を工夫して訳す方法です。
原文では手法を出発点として、その手法によりもたらされうる成果を2つ紹介しています。数字を使って箇条書きにしたり()をつかって補足したりという技を使えば、原文通りの流れを日本語でも再現できます。
訳文3:箇条書きや括弧を活用する
行動の最中に神経ネットワークを局所的に刺激すると同時にその影響を読み出すという手法を使えば、(1)神経ネットワーク内における入力-出力の機能および情報処理過程(実際、単一神経細胞においては入力-出力機能の測定により情報処理の仕組みが解明されてきた)および(2)神経ネットワークにおける入力―出力機能が、神経活動に対する心理学的な感受性に与える影響(これを明らかにすることが、神経回路の活性と行動の関係を理解するためには重要であると理論的な研究から予測されている)が明らかになると期待される。
いかがでしたか?
以上の作業からわかることは、
- 同じ内容でも文章の書き方には日本語であれ英語であれ、何通りかの選択肢がある。
- 英語で違和感がない文章をそのまま訳すと日本語として不自然になる場合があるように、日本語で違和感がない文章をそのまま訳すと英語として不自然な表現になる場合がある。
- 英語で論文を書く場合、日本語を書いてから英訳をすると、文を組み立てなおす作業が発生する可能性があるので、最初から英語で書く方が手間が省ける。
- ただし、論文の「アブストラクト」や「方法」などシンプルな構造の文章の場合は、日本語の逐語訳でも違和感なく訳せることが多い。
やはり
「初めから英語で書く」のがよさそうですね。
ちなみに、日本語で書いて後から英訳した論文を英文校正サービスなどにかけて論旨や構造ごとチェックしてもらうのも一案だとは思いますが、その場合も最初から自分で英語で書いた方が、例えば英文校正者が英語ネイティブで日本語を理解してくれない場合などは安心かな、と思います。
次回の記事では、最初から英語で書くコツについてご紹介します☆