「行き先を知らずに歩く」ためのストラテジー
「就職のあてもないのに博士課程に進むなんて無謀だ」とよく言われます。でも、将来のプランがはっきりしている生き方は、本当に安全なのでしょうか?
前回の記事で、博士課程に進む際に指導教官から「行き先を知らずに旅に出ても、必ず行く先々で進むべき道が示される」とアドバイスされた話をしました。
進むべき道、つまり就職先がみつかる保証があるのか、というのは切実な問題です。しかし、よく考えてみれば、行き先を知らずに進む力は、本来、生物が持っている生存能力そのものです。今日は行き先を知らずに歩くために必要な戦略について考えます。
生き物は常にエサや獲物、養分や光、よりよい環境を求めて生きています。サバンナで狩りをするライオンを想像してみてください。エサであるシマウマは群れをなして動き回っています。ライオンは遠くから虎視眈々と獲物になりそうな1匹を見つけ出し、狙いを定めたとたんに一目散に向かっていき、これをしとめます。
大腸菌のように目も耳も鼻もない、脳や神経を持たない単純な生物にさえ、エサに近づくための仕組みが備わっています。大腸菌の行動パターンはいたってシンプルで、直進と方向転換の2通りだけ。直進ばかりしているとエサから遠ざかってしまうので、直進と方向転換をランダムに繰り返しています。
興味深いのは、ひとたびエサ(誘引物質)を感知すると、方向転換の頻度を上げること。方向転換を繰り返していれば、その場から遠くに移動できないので、いつまでも誘引物質の濃度が高い場所にとどまることができるというわけです(詳しい説明はこちらの解説をご覧ください)。
私たちも人生の節目節目で選択を迫られます。つねに正しい選択をできるわけではありませんし、「正解」の在り方自体も変化します。でも、
大腸菌のように直進と方向転換を繰り返せば、
いつか必ずより良い環境に身を置くことができるはずです。
私自身が心がけてきたことは
1:常に複数の選択肢を持つ
2:その中から現時点で最適と思われるものを選ぶ
3:選んだら一定期間はその仕事に真剣に取り組む
4:方向転換と直進を繰り返す
の4つです。
常に複数の選択肢を持つ
4つのストラテジーの中で、特に大事なのが「1.常に複数の選択肢を持つ」だと思います。
残念ながら選択肢は年齢が高くなるにつれて少なくなっていきます。博士課程を出ると求人が少ないと言いますが、それでも待遇にこだわりが無ければ30歳前後までは就職は可能です。昔と違ってアカリクやWDBなど博士保持者向けの求人サイトもありますし、未経験OKの求人に挑戦するのもアリです。とりあえず安い給料のポストで経験を積んだ後、高給のポストに転職することもできます。
研究者にとって深刻なのは、ポスドクを2~3回経て10年くらいたった時点でPIになれていない場合、あるいはテニュア付きのポジションにつけなかった場合です。アカデミアには、「博士号取得→ポスドク→テニュアなしPI→テニュア付きPI」というルートで階段を昇り詰めることこそ王道で、このルートから逸れるのは負け組、という空気がありますよね。「ここまでやってきたのに今さらアカデミアを離れるなんて」と思いますよね。それがNG。
今はアカデミアの頂点を極めたような研究者でもアカデミアの外で活躍する時代です。ベストセラーとなった『ライフスパン:老いなき世界』の著者で長寿遺伝子の研究をしているシンクレア博士は、ハーバード大学の教授を務める傍らMetroBiotechというベンチャー企業を立ち上げています(参考記事)。安定したポジションにいるテニュアの教授でさえ起業しているのですから、より不安定な立場にいる研究者は、つねにアカデミア以外の選択肢も頭の中に入れておくべきではないかと思うのです。
任期付き助教を経て企業に就職した方のnoteも、大変参考になります。
定期的に選択肢を妄想してみる
「多様な抗体を生成する遺伝的原理の解明」でノーベル生理学医学賞を受賞し、現在は脳の記憶のメカニズムの解明に取り組んでいる利根川進博士は
今取り組んでいるテーマが
本当に自分にとって面白いか、重要かを
月に1回はチェックする
ことを勧めています(動画51:10あたり)。
本当に面白い課題でなければモチベーションが湧かず、パフォーマンスも落ちてしまうからです。免疫学で大きな成果を収めた利根川博士は、常に他の選択肢と比較しながらテーマを厳選した結果、同じ分野にとどまらずに脳科学の分野に方向転換する決断をし、業績をあげ続けることができたのでしょう。
研究テーマだけでなく、仕事の選択肢も、定期的に見直してみましょう。
求人サイトをチェックしてみれば、良さそうな仕事がいくつか見つかります。その中には、自分のスキルや条件に満たない求人もあるでしょう。そのスキルや経験を伸ばせる仕事が次の選択肢のヒントになります。
例えば研究や実験に行き詰りを感じているけれど、論文を読んだり、議論したりするのは好き、という人の場合、メディカルサイエンスリエゾン(MSL)という仕事に興味をもつかもしれません。求人サイトで見ると、お給料も600~1000万とよさそうです。
応募条件として、PhD保持、英語力、MSL経験、オンコロジー領域、薬剤師などいろいろ出てきます。まずは応募条件のハードルが低いところに就職してからキャリアアップを図ろうかな、英語や統計学のスキルアップもしておこう、あるいはバイオの基礎研究の経験しかないから次のポスドクはがん研究のラボにアプライして臨床よりのポストを狙おう、などいろいろな選択肢がありそうですね。
ちなみにMSLの仕事についてもっと知りたい方は
なども参考になさってみてください。
いつも「正解」を選ぶ必要はない
選択肢の選び方についても考えてみたいと思います。
やりがい、給料、アクセスや勤務時間、いろいろな条件が出てきますが、「その時点で」ベストと思われるものを選べばよいと思います。先々を見越して結論を出しても、時代や状況は変われば、何がベストかも変わってしまうからです。
少しばかり、私個人の話をさせていただきます。
博士取得後、ポスドク(海外2年+日本1年)、出版社勤務を経て、今はライターとして、主に研究者へのインタビュー記事を書いています。
実は博士課程の3年目、研究に行き詰まりを感じていた時に新聞記者の求人を見つけ、科学記者になりたいと真剣に考えたことがありました。でも指導教官に相談したところ、「記者のように締め切りに追われる仕事はあなたには向いていないし、まずは学位をとることが大事」と反対され、諦めました。
あのとき、もし新聞記者になっていたら、それはそれで貴重な経験ができたかもしれません。が一方で、博士論文を書くこともなく、論文審査会でのシビアな質疑応答をすることもなく、ポスドクとして海外で一人暮らしをすることもなく、AHAのフェローシップや科研費の申請書を書くこともなかったでしょう。
これらは今の自分を作っているかけがえのない経験です。何より、これらの経験をしたからこそ、デモシカ(死語?)ではなく、心の底からライティングが好きなんだ!という実感も湧いてきたのです。
当時は新聞記者になるくらいしかサイエンスを伝える方法がありませんでしたが、20年たった今は、Twitterやブログ、ウェビナーやYouTubeも盛んになり、研究者自身が自らサイエンスの魅力を発信できる時代になりました。オープンアクセスが浸透し、研究機関に所属していなくても最新の優れた研究成果に触れることも可能になりました。おかげでサイエンスライターの門戸も広がりました。時代が変わり新しいツールが登場したおかげで、
記者をあきらめるという「不正解」が、
ポスドク経験のあるサイエンスライターになるという「正解」に変化したのです。
実は、大腸菌は方向転換をするとき、次に直進する方向をランダムに選んでいます。けっして誘引物質の濃度が高い方向を選んでいるわけではありません。にもかかわらず誘引物質に近づけるのは、方向転換の頻度を上げているから。
先の見えない世の中で最適解を見出すためには、あらかじめ緻密なプランを立てるのではなく、大腸菌のように
行く先々で選択肢を選び続けることこそ最強の戦略
のように思えます。
博士課程の進学やその後の就職に関しては
☆ 色々な方のご意見をうかがえる掲示板
☆ 学術関連の仕事に関するコラム
☆ Web岩波の連載「アカデミアを離れてみたら」
も、のぞいてみると勉強になります。