アカデミアから離れた今思う、博士課程進学のメリット
研究者の皆さまのツイッターを見ていると、様々なキャリアステージでの悩みが伝わってきます。
「研究成果がなかなか出ない」「N年越しでやっと論文が出た」「任期付きポジションの期限が迫っているのに、次のポストが見つからなくて焦る」などなど、切実です。
茨の道を歩く先輩の姿を見てしまうと、博士課程に進まない方がいいと判断する人が増えるのも頷けます。ちなみに私は2つ目のポスドクでアカデミアから離れたのですが、就職の厳しさ、研究のモチベーションを持ち続けることの大変さ、身に染みてわかります。
でも、博士課程に進んだことを後悔していません。むしろ、アカデミア以外で働く人にこそ博士課程への進学(D進)をお勧めしたいのです。今日は、博士課程に進んで良かった理由を考えてみたいと思います。
- D進メリットその1:課題解決能力が身につく
- D進メリットその2:ライティングスキルが身につく
- D進メリットその3:プレゼンテーションスキルが身につく
- D進メリットその4:外資系企業の就職に有利
- 結局D進してしまった本当の理由
D進メリットその1:課題解決能力が身につく
研究とは答えのない未解決問題を解く作業です。しかもその問題からして与えられるものではなく、自ら設定しなければなりません。
答えのない問題を解くのには時間がかかります。試行錯誤は挫折の連続です。10くらい方法を思いついても、そのうち1つうまくいけばいい方、という世界です。
博士課程に進まない学生の中にも優秀な人はたくさんいます。ですが博士課程の学生が間違いなく誇れるものがあるとすれば、それは「失敗した経験の数」ではないかと思います。
結果が出るまで粘り強く取り組むためには、頭がいいだけではだめです。むしろ、それほどの頭の良さは必要ないかもしれません。
常識的なやり方だけではなく非常識なやり方も試してみる大胆さ、再現性を失わないよう一貫した手法をキープする繊細な心配り、失敗事例から学ぶ謙虚さ、そのうちなんとかなるさという楽観さ。いずれも職種を問わず課題解決に必要な資質ですが、博士課程はこの様な"ソフトスキル"や"エモーショナルインテリジェンス"を磨く貴重なトレーニングの場なのです。
D進メリットその2:ライティングスキルが身につく
博士号をとるためには、査読付き論文を筆頭著者として最低1報発表する、というのが条件になっているところが多いかと思います。これに加えて、なが~い博士論文を書いて提出しなければなりません。多くの人に読まれることの無い学位論文の執筆に膨大な時間を割くくらいなら、投稿論文の執筆や実験を進めたほうがよいという意見もあるようですが、悪い面ばかりではありません。
アカデミアに残るなら、毎年研究費を申請することになりますが、研究費の額が大きくなるほど申請書も長くなっていきます。私もAHA(American Heart Association)のフェローシップや若手向けの科研費を申請し、ありがたいことに採択されましたが、書いている最中は実験を完全にストップし、文献をあさり、研究の構想を練り、そして文章を遂行するのに手間も時間もかかりました。まして、NIH(National Institutes of Health)の大きなグラントともなれば、申請書の長さも労力も何倍にもなるでしょう。キャリアの早い時期に学位論文のような長い論文を書く経験をすれば、研究費申請書の作成にも訳立ちます。
一方でアカデミアに残らないのであれば、学位論文クラスの文章を書くのは一生に一度のチャンスとなるので、やはり貴重な経験です。アカデミアに限らず、およそ知的な活動を伴う仕事であれば、ライティングは必須能力。大量の情報をわかりやすい流れでまとめる学位論文の執筆を通じて、論理構成、図表、参考文献など、様々な種類の情報を編集する能力も培われます。(理系ドクターにおすすめの職種をご紹介した過去記事はこちら)
D進メリットその3:プレゼンテーションスキルが身につく
修士課程の学生も、学会で発表したり、修論発表会をしたりするでしょう。もちろん、これらもプレゼンテーションの大切な機会ですが、博士課程の論文審査会は、その数倍大変です。
学会や修論発表会は、発表の時間+質疑応答で15~20分くらいでしょうか。でも、博士の論文審査はその倍以上、質疑応答にいたっては、制限時間はありません(細かい条件は大学ごとに違うかもしれません)。
論文は書いたものを指導教官に添削してもらえますが、口頭審査は自分だけが頼りで、しかも一発勝負。その研究テーマを深く理解しているかどうか、徹底的に試されます。同じ分野だけでなく違う分野の教授からも、研究の本質を突く質問が次々と出されます。緊張感がまるで違います。このような経験も、博士課程でしかできない貴重な経験です。
私ごとですが、20年経った今でも、論文審査での質疑のやりとりを鮮明に覚えています。異なる分野の先生が投げかけた鋭い質問に一瞬たじろぎましたが、自分でもびっくりするくらい雄弁に切り返しました。論文審査委員会でも、その受け答えがよかったとのコメントをいただきました。
それまでプレゼンが苦手で、学会発表など原稿を一字一句丸暗記で臨むタイプだった私。発表テーマへの深い理解や、研究を通じて培った洞察力が質の高いプレゼンを可能にするということを身をもって体験したその時、一皮むけて自信がつきました。
D進メリットその4:外資系企業の就職に有利
知り合いにフランス国立行政学院(ENA)出身の女性がいるのですが、彼女はご主人の海外転勤に、いつもついていきます。単身赴任は全く選択肢にないし、その必要もないとのこと。なんでも、ENAの卒業生たちのネットワークが世界中に張り巡らされているので、どこにいっても必ずポストが見つかるのだそうです。
博士号にENAほどの威力はないかもしれませんが、それでも海外では博士号を保持していることが高く評価され、就職にも有利に働きます。日本の外資系企業も同じです。私も夫の転勤や出産など、さまざまな事情によりキャリアを中断してきましたが、外資系企業にお世話になって今日に至っています。(すくなくとも建前上は)年齢制限を設けないので、ブランクがあってもそれほど気にせずに応募できるのも嬉しいポイントです。
ついでですが、外資系企業への就職を考えているなら、LinkedInを活用するのがお薦めです。日本の研究者では使っている人が少ないようですが、海外の研究者の多くは自分のプロフィールをLinkedInにのせ、いわばスカウト型就職のチャンスを狙うケースが一般的です。
外資系だけでなく、海外で就職をする場合もPhDは強みになります。日本で博士号を取得し、シンガポール→ベルギーと拠点を移して活躍している方もいます。
結局D進してしまった本当の理由
もちろん、私自身も博士課程に進学することにためらいが無かったわけではありません。親は文系出身の学部卒。博士課程に進みたいと話したところ、「博士課程なんかに行って就職先はあるのか」「理科がやりたければ学校の先生になればいいじゃないか」と反対されました。
それでも、最終的にドクターに進む決断をしたのは、青臭いかもしれませんが、じっくり物事を考え、試行錯誤し、未知の課題を解決してみたい、という気持ちが強かったこと、そして、指導教官の先生の一言
「行き先を知らないで旅に出る」
に背中を押されたからだと思います。
この言葉は旧約聖書の言葉で、アブラハムが故郷を出発するシーンで出てくるのだそうです。「人は皆、行き先を知らずに旅に出るものだ。行く先々で、失敗や困難に出会うけれども、必ずそこで進むべき道が示される。だから安心して進んでいいんですよ。」と教えていただきました。
なんと楽観的で無責任なアドバイスと思われるかもしれません。でも、この生き方こそ、どんな環境でもサバイバルできる最強の方法なのです。
次回の記事ではそのストラテジーについて考えてみたいと思います。